絵描きのナナシさん1       (2022年10月出版)

 かなり浮世離れをした絵描きがいました。

 名前は「74」と書いて、「ナナシ」さん。

 文字通りの「名無し」という意味なのか、「74」という数字に特別な意味があるのか、それとも本名なのかはわかりません。

 だって、誰も彼と会ったことがないのですから。

 ナナシさんは大きなリュックサックを背負い、全国を旅しながら、今時珍しいガラスペンで絵を描いています。

 そして、自身のホームページで描いた絵を出展して売っています。しかも、毎回高値で取り引きされます。

 それだけ世界中にファンがたくさんいるのでしょう。

 ただし、雑誌やテレビに出る訳でもなく、積極的にSNSをしている訳でもないので、その正体は謎に包まれています。

 いろいろな噂話も出ていますが、ナナシさんはそれにも気付かないで、今日も自由気ままな一人旅を続けながら、大好きな絵を描いています。

 たった今、一体何処で何をしていることやら。

 

「お客さん、絵がうまいねエ」

 店内の壁の鳩時計が夜の9時を少し回った頃、この店のオーナー兼シェフ兼唯一の店員でもあるヤマギシさんは、カウンター席に座り、たった一人だけのお客の絵を見て言いました。

 ここは駅前から少し離れたところにある老舗の洋食屋さんです。

 外壁が煉瓦造りの建物自体が古いのは仕方がありませんが、それにしたって、何だか店内が妙に薄暗く、廃れている感じがじんわりと滲んでいます。

 今から1時間前のことだったでしょうか。この店に、ふいに1人の若い男性(?)がTシャツにジーパンの格好をし、大きな黒いリュックサックを背負って現れました。

 若い男性(?)は食事を終えると、おもむろにリュックサックからガラスペンを取り出すと、サササッと紙ナプキンに鳩時計を描き始めました。

 その絵はとても趣があって、鳩の表情がとても可愛らしいものでした。そして、何よりそのお客の絵を描く姿がとても楽しそうで嬉しそうだったので、ヤマギシさんはつい声をかけたのです。

 そんなヤマギシさんですが、理由があって、30年も続けてきた店を閉めるという決意を胸に秘めていました……。

 


 新たなシリーズの誕生です。

 「絵描きのナナシさん」。

 実はこの作品、今年1月に書き上げました。

 そして、3月までに立て続けに4作品完成しました。

 「旅」とか、「絵」とか、今の自分はなかなかできない(絵はヘタです)ので憧れですよね。

 今回も難しい語彙や漢字を省いて、小学校低学年生でも読める作品です。

 書いてて、久し振りに「おとな文学」を意識しました。

 これは造語ですが、大人には読んでて少し物足りないというか、童心に戻れるというか。

 子供にとっては少し背伸びして読めるような物語。

 これからもそんな作品を書きたいな、と書きながら思いました。

 2022年作。