かつてムジャキな子供だった人達への童話17(2023年4月出版)

1ばんの食いしんぼう

 カバの子どものペンタは、とっても食いしんぼう。

 どうぶつ村1ばんの食いしんぼう。

 とくに、あまいものが大すき。

 ひまさえあれば、おかしをパクパク。

 ケーキをパクパク。

 くだものもパクパクしています。

 おかげで、体もすっかり大人のように大きいです。

 そんなペンタがとつぜんおなかが痛いと、大さわぎ。

 いつもの食べすぎだと思って、くすりを飲ませましたが、ききません。

 しかたがなく、ヤギ先生がペンタの口の中に入って、原因を調べてみると……。


 これは本来絵本向きの作品ですね。

 そんなイメージで書いたと思います。

 ただ絵が壊滅的にヘタなので……。

 初期の頃の作品なので、イメージと勢いで書いた感じがします。

 今ではあまり書けないような作品。

 貴重です。

 1998年作。

ママは、まほうつかい

 ぼくのママは、まほうつかい。

 パパもだれも、しらない。

 ぼくだけが、しっている。

 ママは、まほうでぼくのびょうきをなおしてくれる。

 おいしいりょうりを作ってくれる。

 たのしいゆめも見させてくれる。

 そう。

 ママはまほうで、ぼくをしあわせにしてくれるんだ。


 「痛い痛いの、飛んでけ~」とか、「チチンプイプイ」とか、昔のお母さん達がよく子供に言っていた言葉。

 何となくその言葉を聞くと、不思議と痛みが治まって泣き止んだり、何となくそれまでと何かが変わったりしたように感じたものです。

 頭を優しく撫でられたり、ギュッと抱き締められたり、目をじっと見つめられて褒められたり。

 子供の頃にこうした貯金がたくさんあれば、悪いことをする大人にはならないような気がします。

 2002年作。

ノラ犬チビと大邸宅に住むお婆さん

「もうだめだ……」

 ノラ犬チビは、路上をフラフラ歩きながらつぶやきました。

 もう3日も何も食べていません。すっかりおなかが空いて、何だか意識も遠のいてきました。

「もうおしまいか、僕も……」

 その時です。車道の向こう側に、大きな邸宅があり、しかも門が開いているのが見えました。

 チビが残りの力を振り絞って歩き始め、門を抜けると、台所からおいしそうなパンのにおいがしてきました。

 チビは台所に入り、テーブルの上によじ登って、小麦色のパンをくわえました。

「ミー君! ミー君じゃないの!」

 振り返ると、そこにはつえをついたお婆さんがいました。

 そして、チビを抱き上げ、涙を流しながらギュッと抱き締めました。

 チビはというと、何が何だかわからずに、パンをくわえたままポカ~ンとしてしまいました。


 すさんだ生き方をしてきたノラ犬チビが認知症を患い、死期も迫ったお婆さんと偶然に出会うお話。

 これはお婆さんが認知症だったからこそ、チビは救われました。

 でも、そんな奇跡的なことはやはり起こりうるわけで……。

 生きていればこそ、「出会い」の奇跡はいつか起こります。

 自分のこの先に光が差すような。

 そんなことを描きたかった作品です。

 2009年作。

まくらまっくら

 ぼくのパパは、いそがしい。

 いつもしごとで、いそがしい。

 ぼくがねているときにかえってきて、ぼくがねているあいだにいえをでて……。

 だから、ぜんぜんあえない。

 おなじおうちにすんでいるんだよ。

 それなのにさ。

 もしかしたら、パパ、ぼくのこときらいなのかなあ。

 

 いぬのチビスケにそのことをはなすと、

「パパのまくらでねてみたら? そうすれば、パパのきもちがわかるかもよ」

といった。

「『まくらまっくら。パパのきもちがしりたいな』って、いのるんだ」

とおしえてくれた。

 ぼくはパパのまくらをもちだして、さっそくやってみた。

 まくら、まっくら。パパのきもちがしりたいな……。


 これは枕と夢のお話。

 ま、私は個人的に枕が変わると、熟睡できませんが。

 まくらとまっくら。

 何となく言葉が似ていて面白いな、と思って書いた作品です。 

 2009年作。