かつてムジャキな子供だった人達への童話12(2021年9月出版)

ヒツジさんのハデな雲

 ある寒い日のことです。

 ぼくが外を歩いていたら、目の前に1本の白い糸がたれているのを見つけました。

「なんだろう?」

 見上げると、空の雲からたれています。

 ぼくはその糸を引っぱってみました。

 スルスルスルスル……。

 しばらくして、空から大きなクシャミが聞こえて、見上げると、とっても大きなヒツジさんが雲から体を半分出していました。

「オイ、なにするんだよ! ぼくのセーターを引っぱったら、ダメじゃないか!」

 そうです。

 ぼくが引っぱっていた糸は、ヒツジさんのセーターの糸だったんです。

 それから、ぼくはあみ物が上手なママにたのんで、セーターをあんでもらったのですが、そのセーターが……。


 これもかなり昔の作品です。

 昨年コロナ禍で自粛期間中に昔の作品を引っ張り出して見つけて、パソコンに入力した作品。

 なので、当時の心境は思い浮かびませんが、昔母親が編み物をしていて、家族のために、又は知り合いに頼まれてセーターを編んでいたのがお話が浮かんだ背景にあると思います。

 そして、やはりおふざけ気分で書いた作品であることは一目瞭然。

 1999年(?)作。

パティシエ・ロボット

 パティシエ・ロボットは、人間のえがおで動きます。

 だから、たくさんのえがおが見たくて、よろこぶかおが見たくて、がんばるのです。

 パティシエ・ロボットは子どもたちの人気者。

 ロボットの店は、いつも子どもたちでいっぱいです。

 ところが、えき前に、とても大きくておしゃれな新しいケーキ屋ができて、子供たちはその店にかようようになりました。

 子どもたちのえがおが見られなくなったロボットは、無理してたくさんはたらいたので、こわれてしまいました。

 そして、店からすがたを消しました……。


 以前「がんばれロボット」という作品をネットで出版しました(今は中断中)。

 同じ年に「ロボット」の第2弾として書いた作品。

 そして、その後「看取りロボット」とつながる訳です(こちらは出版中)。

 ただ、最後の方のオチは当時かなり考えて考えて絞り出したと思います。

 もし今書いていたら、別なオチになっていたかもしれません。

 もしかしたら、後何十年後かには映画「A.I.」や「アイ、ロボット」のようなことが現実に起こるのかしら。 

 2010年作。

サンショウウオ

 夏休みのある日、トオルは山村に住むおじいちゃんと渓流釣りを楽しみました。

 普段都会で暮らしているトオルですが、毎年夏休みになると、真っ先に1人で新幹線や列車、バスを乗り継いで、おじいちゃんのところに出掛けるのです。

「サンショウウオだ。珍しい」

 川づたいに沢を上り、道なき道を歩いて、やっとのことで源流にたどり着いたトオルは、そこでサンショウウオを見つけました。

 ところが、トオルはケースにそれを清水とともに入れると、川沿いに来た道を戻っていきました……。


  この作品は「児童文学の王道」のような作品です。

 真面目なお話です。

 おフザケは一切ありません。

 命の代償として、サンショウウオが残したメッセージ。

 本当はかなり長いものでしたが、あえて短くしました。

 2005年作。

カラクリ時計

「大変だ。もうすぐ3時。急がなくちゃ」

 ナオト君はランドセルを上下左右に揺らしながら、駅舎前にカラクリ時計が置かれていて、午後3時になると、6人の小人の人形がそれぞれ楽器を持って現れ、マーチを演奏するのです。

 そして、今日も時計の針が3時を指すと、いつものように小人たちが出てきて、楽しいマーチの演奏をしました。

 周囲の人たちは大喜びで、大きな声をあげて、一斉に拍手をしました。

 でも、ナオト君はすぐに気付きました。

「あっ、タイコの小人が1人いない」

 駅長さんの説明では、タイコの小人は散歩の途中迷子になって、無事に見つかったとのことですが……。


 この当時から10年くらいは、とにかく書きまくっていた時期。

 毎日毎日、仕事を終えて、夜中から朝の5・6時まで書いていました。

 よくまあ、次から次へとアイディアが浮かんだなあ。

 とくかく賞が欲しくて欲しくて、1ヶ月に多い時で5作品応募したことも。

 カラクリ時計、いいですよねえ。

 思わず立ち止まって、ニヤッとしてしまします。

 「小人」の人形という表現は今はどうでしょうかねえ。 

 1999年(?)作。