ある寒い日のことです。
ぼくが外を歩いていたら、目の前に1本の白い糸がたれているのを見つけました。
「なんだろう?」
見上げると、空の雲からたれています。
ぼくはその糸を引っぱってみました。
スルスルスルスル……。
しばらくして、空から大きなクシャミが聞こえて、見上げると、とっても大きなヒツジさんが雲から体を半分出していました。
「オイ、なにするんだよ! ぼくのセーターを引っぱったら、ダメじゃないか!」
そうです。
ぼくが引っぱっていた糸は、ヒツジさんのセーターの糸だったんです。
それから、ぼくはあみ物が上手なママにたのんで、セーターをあんでもらったのですが、そのセーターが……。
これもかなり昔の作品です。
昨年コロナ禍で自粛期間中に昔の作品を引っ張り出して見つけて、パソコンに入力した作品。
なので、当時の心境は思い浮かびませんが、昔母親が編み物をしていて、家族のために、又は知り合いに頼まれてセーターを編んでいたのがお話が浮かんだ背景にあると思います。
そして、やはりおふざけ気分で書いた作品であることは一目瞭然。
1999年(?)作。
パティシエ・ロボットは、人間のえがおで動きます。
だから、たくさんのえがおが見たくて、よろこぶかおが見たくて、がんばるのです。
パティシエ・ロボットは子どもたちの人気者。
ロボットの店は、いつも子どもたちでいっぱいです。
ところが、えき前に、とても大きくておしゃれな新しいケーキ屋ができて、子供たちはその店にかようようになりました。
子どもたちのえがおが見られなくなったロボットは、無理してたくさんはたらいたので、こわれてしまいました。
そして、店からすがたを消しました……。
以前「がんばれロボット」という作品をネットで出版しました(今は中断中)。
同じ年に「ロボット」の第2弾として書いた作品。
そして、その後「看取りロボット」とつながる訳です(こちらは出版中)。
ただ、最後の方のオチは当時かなり考えて考えて絞り出したと思います。
もし今書いていたら、別なオチになっていたかもしれません。
もしかしたら、後何十年後かには映画「A.I.」や「アイ、ロボット」のようなことが現実に起こるのかしら。
2010年作。
夏休みのある日、トオルは山村に住むおじいちゃんと渓流釣りを楽しみました。
普段都会で暮らしているトオルですが、毎年夏休みになると、真っ先に1人で新幹線や列車、バスを乗り継いで、おじいちゃんのところに出掛けるのです。
「サンショウウオだ。珍しい」
川づたいに沢を上り、道なき道を歩いて、やっとのことで源流にたどり着いたトオルは、そこでサンショウウオを見つけました。
ところが、トオルはケースにそれを清水とともに入れると、川沿いに来た道を戻っていきました……。
この作品は「児童文学の王道」のような作品です。
真面目なお話です。
おフザケは一切ありません。
命の代償として、サンショウウオが残したメッセージ。
本当はかなり長いものでしたが、あえて短くしました。
2005年作。
「大変だ。もうすぐ3時。急がなくちゃ」
ナオト君はランドセルを上下左右に揺らしながら、駅舎前にカラクリ時計が置かれていて、午後3時になると、6人の小人の人形がそれぞれ楽器を持って現れ、マーチを演奏するのです。
そして、今日も時計の針が3時を指すと、いつものように小人たちが出てきて、楽しいマーチの演奏をしました。
周囲の人たちは大喜びで、大きな声をあげて、一斉に拍手をしました。
でも、ナオト君はすぐに気付きました。
「あっ、タイコの小人が1人いない」
駅長さんの説明では、タイコの小人は散歩の途中迷子になって、無事に見つかったとのことですが……。
この当時から10年くらいは、とにかく書きまくっていた時期。
毎日毎日、仕事を終えて、夜中から朝の5・6時まで書いていました。
よくまあ、次から次へとアイディアが浮かんだなあ。
とくかく賞が欲しくて欲しくて、1ヶ月に多い時で5作品応募したことも。
カラクリ時計、いいですよねえ。
思わず立ち止まって、ニヤッとしてしまします。
「小人」の人形という表現は今はどうでしょうかねえ。
1999年(?)作。