父の背中は大きい。
父の背中は広い。
父の背中はかたい岩のよう。
でも、あったかい。
だから、好きだ。
父が病気で亡くなる1週間前、私は病室にいる父の背中を水で濡らしたタオルで拭いてあげた。
「気持ちいい。もういい。ありがとな」
父は目尻に深い皴を刻ませて、優しく言った。
シミだらけの父の背中が哀しかった。
確か中学2年生だったと思いますが、その頃友達に教わった将棋にハマって、父が仕事から帰ると、嫌がる夕食中の父をつかまえて、毎晩将棋をさしてもらっていました。
そして、ある日曜日の午後、やはり休みで家にいた父に頼み込んで、将棋をさしたのですが、初めて父に勝ちました。
その時の父の苦笑い。
そして、全てにおいて初めて父に勝ったことによる自分自身の困惑。
嬉しいというよりも、やってはいけないことをやってしまったという感覚。
寂しそうな父が小さく見えてしまった瞬間。
先日は父の十三回忌で、あれからたくさんの月日が経ちましたが、今でも鮮明に覚えています。
2005年作。
私はリサ。白人の母と黒人の父とのハーフ。肌が浅黒いのもそのためだ。
父は生まれてすぐにいなくなった。らしい。
それ以来、どんな時でもずっと母と2人で生きてきた。
忘れられないことがある。
あれは10歳の時、私は経済的な理由で、一時的にニューヨークの児童養護施設に預けられたことがあった。
私は入所早々に施設内で、一部の子供達にイジメを受けた。
ある日の放課後、突然母が小学校にやってきた。
それから、2人で近くの大型スーパーマーケットの屋上に行った。
母はそこで私にチョコバニラのアイスクリームを買ってくれた。
「1つでチョコとバニラの両方のおいしさが味わえる。そのアイスクリーム、まるでリサみたいね」
母は空の雲を見つめて、そう呟いた……。
この頃はやたらと原稿用紙で5枚前後の超短編を書いていました。
これもその頃の作品。
当初は題名は「チョコバニラ」でしたが、変えました。
やはり物語の最後の場面からも「ハーフ」、「半分」でしょう。
決して白人と黒人の「ハーフ」ではなくて、「半分」という意味の「ハーフ」。
読んでもらえたらわかると思います。
2004年作。
私は車の中でぐっすり眠った子供を抱きかかえて、1階のソファーに寝かせると、物音を一切消しながら、2階の物置部屋に向かった。
わざわざ車で30分ほど掛け、今は空き家になっている実家で、ここに来た本来の目的である探し物を見つけに。
あった。
私は物置部屋にある本棚から、『どろんこハリー』と『ぐりとぐら』、そして『てぶくろ』だ。
私はタオルで、丁寧にその絵本たちを1ページずつ拭いた。
すると、私の記憶は高校時代の、あの一瞬に連れ戻された……。
この作品は今年書いた作品。
実際、ストーリーのほとんどは事実です。
まっ、主人公が女性と子供のことを除けば。
そのためか、あっという間に書き上げました。
2023年作。
「ただいまァ~」
お盆の夕食中のことだった。
某大手証券会社に勤めていた兄が、6年振りに帰ってきた。
しかし、何となく兄は私が知っている兄ではなかった……。
この作品はその後、原稿用紙で10枚ほどの作品、そして30枚ほどの作品に発展していきました。
ということは、自分でも作品のストーリー性が好きだったのだと思います。
あれ、ラジオドラマにもしたような……。
2006年作。