おじいちゃんとウォーターさんのブリキのおもちゃ博物館

(2017年9月出版)

 ある日、亡くなった祖父宛てに1通の手紙が届いた。

 差出人はジェームズ・ウォーターさん。

 見知らぬアメリカ人だった。

 手紙の中で、ウォーターさんは祖父の作ったブリキのおもちゃが大好きで、ぜひ会って話がしたい、と書いていた。

 それはひらがなばかりで、お世辞にも決してうまいとは言えない字だったが、なぜか親しみが感じられた。

 それに、アメリカ人が祖父がブリキのおもちゃを作っていたことを知っていて、それが好きだということが単純に嬉しかった。

 生前小さな町工場を営んでいた祖父は、戦後数多くのブリキのおもちゃを作った。

 当初は父を戦争で亡くした私を憐れんで作ってたが、やがてその精巧さが評判となり、海を渡ってアメリカにも輸出された。

 しかし、そんな祖父も約30年前に亡くなって、工場は閉鎖された。

 以来、私自身ブリキのおもちゃのことさえすっかり忘れていた。

 

 1週間後。

 ウォーターさんは孫のリックさんを通訳として連れて、私の家にやって来た。

 そして、ウォーターは居間でテーブルの上に、持参したブリキのおもちゃをたくさん並べた。

「ウォーターさんは、どうして祖父の作ったおもちゃを集めているのですか?」

 私の素朴な質問に対し、彼はドライバーでブリキの自動車の1つを分解して、中を見せた。

 『平和』。

 そこには、白い祖父の字でそう書かれていた……。


 この作品も、大人が主人公にした児童文学のような作品です。

 このスタイルが自分の作風だとも思っています。

 できるだけ簡潔に、そしてわかりやすく……。

 実は昔、難しい顔して難しい文章ばかり書いていました。

 あえて難しい言葉や漢字を使ったり、やたらと難解な表現に凝ってみたり。

 そして、それが「かっこいい」なんて思ってました、ハイ。

 だから、1つの作品が出来上がるまでずいぶん時間がかかっていました。

 でも、ある時、平野啓一郎氏の「一月物語」を読んで、やめました。

 こりゃ、すごい。かなわんな、と。

 以来、真逆をいっています。

 おかげで、スラスラ書けるようになり、書いた作品も450を超えています。

 平野氏に感謝、感謝です。

 

 主人公の「私」がアメリカ人と知り合って、亡くなった祖父の本当の心を知ることになります。

 でも、「平和」って、実に難しい。

 言葉にすればたった一言ですが、それを守るためには大変な努力があるわけで……。

 日本はやはり、亡くなった多くの人達の犠牲と安全保障と教育と国民の平和への願いが結びついて、今の平和があるような気がします。

 1つ欠けてもだめだったはずです。

 だから、「平和」を美しい言葉としてだけ使われるのは、何となく違和感を感じます。

 特に、年をとるとやはり……。

 

 さて、この作品、「はて、いつ書いたんだっけ?」と思って調べてみたら、2007年作。今から10年前か……。改めて驚きです。