萬年がらくた堂の店主・長吉さんは、いつも店の前の椅子に座っています。そして、通りがかりの人に気軽に声をかけるのでした。
「さっ、どうぞ。もしよかったら、店の中に入ってみませんか。懐かしくて珍しい物がたくさんありますよ」
中古品を扱うこの店は30坪ほどの広さで、中には所狭しといろいろな物が置かれています。日本初の洗濯機や冷蔵庫、白黒テレビや家具式の大型ラジオ。昔の映画ポスターやレコード、少年漫画の雑誌などなど。みんな長吉さんが苦労の末に集めた物ばかりです。そのせいか、長吉さんはあまり店の物を売りたがりません。
奥さんの陽子さんと娘のみづきちゃんは、そんな長吉さんにあきれ顔です。
しかし、そんな長吉さんがある日突然倒れてしまい……。
昨年自粛期間中が長かったため、過去のたくさんの作品を改めて読み直しました。
それもあって、今回出版にこぎつけたという訳です。
それにしても、古い作品です。
そして、どうやらこの作品の延長線上で生まれた作品が「おもひで屋」なんだな、と再認識しました。
知らなかった……。
自分でも作品の系譜を知ったみたいで、おもしろかったです。
1999年(?)作。
十造さんは元国鉄の駅長さん。所謂「ポッポや」です。長年勤めていた国鉄も、JRに変わる際に、定年まであと2年を残して退職しました。
そんな十造さんにとって、国鉄時代の1番の思い出はD51を運転したことでした。それを鉄道マニアで、現在JRで働く息子の洋平さんに自慢するほどでした。
さて、退職した十造さんは、夏は鮎釣り、秋は山菜やキノコ採りに励みました。そして、時間を見つけては、奥さんを連れて、県内の温泉巡りを楽しみました。
ところが、その奥さんがすい臓ガンで亡くなるとそのショックから認知症になり、洋平さんのことですらわからなくなってしまいました……。
これもかなり古い作品。
「国鉄」なんて、知っている人の方が少ないですよね。
ましてや、「ぽっぽや」とかD51だなんて……。
ちなみに、鮎釣りや山菜・キノコ採りは亡くなった父親の趣味でした。
実は、鉄道の車掌になるのが夢だったそうです。生前一度だけ聞いたことがあります。
そして、晩年は十造さんと同じく認知症になりました。
多分生きていた頃の父親を少しだけ参考にして書いた作品だと思います。
1998年(?)作。
朝、僕は些細なことで彼女とケンカした。
きっかけは、お昼のお弁当でおにぎりを作ってほしいと、彼女に頼んだことからだった。
優しい彼女はいつものように快く承諾して、台所でおにぎりを握り始めたのだが、その形が僕の気に障った。
「いいよ、そんなに形にこだわらないで。普通に丸く握ってくれれば」
「えっ、おにぎりって、三角が当たり前じゃないの?」
おにぎりは丸か、三角か。
彼女と激論を交わしていると、僕の携帯電話が鳴った。
田舎に住む5歳上の姉からだった。
「ノブ、大変よ。母さんが倒れた。だめかもしれない……。ノブ、覚悟して」
僕と彼女は急遽会社に連絡して休みをもらい、母の元に急いだ……。
この作品のきっかけは、よく覚えています。
それは早朝、まだぐっすり眠っていた時、友人夫婦からかかってきた1本の電話からでした。
まさしく、おにぎりは丸か、三角かで夫婦喧嘩が始まったらしいのです。
そして、それぞれの友人に電話を掛けては、賛同を得て勝ち誇っていたらしいのです。
ったく……。
また、私の母親が私が学生の頃に握ってくれたおにぎりは、すじこや明太子、焼鮭が多かったように記憶しています。
当時はとても珍しく、周りの友達の中でも私だけでした。
そんなことなども思い出しながら書いた作品。
ちなみに、私もおにぎりは丸派です。
2008年作。