形見               (2023年8月出版)

 終戦記念日。

 あれから一体どれくらいこの日を迎えてきたことだろう。その度に遠い記憶を呼び戻す。そして、戦死した兄を思い出す。

 もうすっかり年のせいか、それとも当時の私が子供だったせいか、普段は兄の記憶さえおぼつかないが、何故かこの日を迎えると、兄の顔を鮮明に思い出す。あのきりっとした切れ長の目とあごの小さなほくろまでも。そして、その度に涙が零れる。

 私には10歳上の兄がいた。

 いつも笑顔で、誰に対しても分け隔てない優しい兄だった。勉強も優秀で東京の大学に進学し、学生時代は野球部に属し、旧制中学では主将としてチームを引っ張った。それだけ人望もあったし、両親にとっても私にとっても自慢の兄だった。

 そんな兄にも例外なく召集令状が届いた。

 母は兄が子供の頃に仕立て、もう着なくなった浴衣の布でお守り袋を作った。そして、その中に兄のへその緒と自分の歯をわざわざ折って中にいれ、戦地に向かう兄に持たせた。

「どうか生きて、生きて帰ってくださいませ」

 それが唯一の母の望みだった。

 兄には将来を約束した女性がいた。

 兄より2歳下の華さんは、長身で成績も優秀。色白で髪は長く、澄んだ瞳が黒真珠のように大きく輝いていた。文字通り、才色兼備だった。

 性格的には控えめで清楚だったが、芯が強く、それでいて優しかった。

 兄の出征が決まった時、両家の親類は2人の結納を早く取り交わそうとした。華さんも強くそれを望んでいたが、母は強く反対した。そして、それ以後華さんとの付き合いを絶った。華さんは母を恨んだ。

 兄が出征すると、母は毎日兄の大好きだった浜辺に出向き、兄の無事と故郷への帰還を願った。

 しかし、数ヶ月後、母の願いも虚しく、無情にも兄がフィリピン沖で戦死した知らせが届いた。

 その後も、母はいつもの浜辺に立ち続けた。

 あれから十数年が経ったある日、母が浜辺で倒れた……。


 これは太平洋戦争のお話。

 やはり、日本人として戦争についての物語は書き続けていかないといけないし、東日本大震災を経験した者として震災に関する物語も書き続けなければいけないと思っています。

 それにしても、近年本当に戦争に関するドラマや映画、そして小説がすっかりなくなりました(今年はNHKでドラマをやっていました)。子供の頃は必ず民放でもありましたが。やはり残酷な物語は受け入れられない時代になったのでしょう。視聴率もとれないし、お客さんも入らないのでしょう。本だって売れないのかな? 果たして、今年はあるのだろうか。

 その一方、

「戦争の記憶を忘れてはいけない」

と、テレビがこの時期になるとよく言っていますが、何だか矛盾している気がするのは私だけでしょうか。

 ま、とにかく私はこれからも書き続けていきたいと思います。

 今の日本の平和は、当時の人達の尊い命の犠牲、国民の平和への強い望み、そしてその後の教育がもたらしたものだと思っていますので。それがいい悪いは別にして。