「総理大臣になった少年」
「はやしたかし童話大賞」受賞
2012年出版
出版社 鳥影社
絵 たかお かおりさん
総理大臣の三枝は、官邸の執務室の窓から夜空を見上げて呟いた。
「さて、広之は、今頃どの辺だろうか。それとも、もう星になってしまったかな」
三枝には陽一という自慢の息子がいた。第一秘書であり、英語が堪能で、内外の政策にも精通し、人望も厚く、誰からも慕われていた。
口には出さないものの、ゆくゆくは陽一に後を継がせて、引退することを決めていた。
ところが、その息子が突然くも膜下出血で亡くなった。
三枝は父を亡くした孫の広之のために、当時就任していた国務大臣の職を持病を理由に辞して、できるだけ孫との時間を過ごそうと決めた。残り少ない自分の人生。できるだけ多くの時間を共有して、いろいろなことを伝えてあげたかった。それが若い頃に政治に没頭して息子に何もしてあげられなかったせめてもの償いだと思った。
ところが、それからしばらくして、相次ぐ大臣のスキャンダルで内閣が総辞職した。
与党はクリーンなイメージのある三枝を担ぎ出した。この難局を乗り切れるのは、彼しかいないと。
そして、三枝は孫の後押しもあって、内閣総理大臣に就任した。政治を安定したら、若い人に任せようと考えて。
ところが、その三枝に再び不幸が訪れた。
孫の広之が公園で事故で亡くなったのだ。ジャングルジムに上って、きっと星になった父を探していたのだろうと、三枝は推測した。
三枝は悲しみを背負ったまま、一心不乱に働いた。
そんなある日、三枝の元に一通の手紙が届いた。今度慰問に訪れる予定の病院に入院している羽田ミノルという少年からだった。
難病と闘いながらも、将来総理大臣になりたいという少年からの手紙を、三枝は心の底から喜んだ。ぜひ会ってみたいとも思った。
そして、その少年との出会いが三枝を大きく変えることになった……。
夢が叶い、総理大臣になったミノルは、「ありがとうの日」を制定したいと、三枝に提案します。普段はなかなか感謝の気持ちを伝えられないから、この日だけはみんなが素直な気持ちになって、「ありがとう」を伝えられたら、どんなに素晴らしいんだろう、と。そして、できれば自分が死んだ日に施行してほしい、とも。
そして、翌年の4月1日、「ありがとうの日」が施行されます。
この作品は何度も何度も書き直してはコンテストに応募し、やっとのことで「はやしたかし童話大賞」を受賞することができました。やはり、見てくれる人はいるのですね。
はやしたかし先生には本当に感謝です。何度かお会いしていますが、とてもエネルギッシュな方です。先生が書かれた「核戦争を考える2つの童話」も素晴らしい作品です。
「はやしたかし童話大賞」には、この作品ともう1つ「背番号のないユニフォーム」という作品を送ったのですが、はやし先生は、大賞は「どっちでもいい」ということでしたが、結局この作品が選ばれたようです。いつかもう1つの作品も出版できれば嬉しいです。
この作品は、少年が難病で亡くなるため、とても悲しい内容です。ネットでもそう書かれたことがあります。
でも、本来のテーマは「再生」です。全てのことを乗り越えて生きていく人間の強さであり、優しさです。
そして、もう1つ。私の教え子のK君がこの病で若くして亡くなったことも、この作品を書かなければいけないと思ったきっかけです。絶対に世に出したい、と。
私にとって、いろいろ想いが詰まった作品です。
悲しいことが起こりました。
とっても、とっても、悲しいことです。
たくさんの人が、この地でナミダを流しました。
本当にたくさんの人が。
たくさんのナミダを。
やがて、その地に小さな芽が顔を出しました。
それは、ナミダのはな。
ナミダのはなは、悲しいをのりこえてさきます。
だから、きっときれいなはず。
やさしいはず。
強いはず。
そして、たくさんのえがおで育ちます。
みんなのえがおで、りっぱなはなをさかすんだ。
この地に、ナミダのはながたくさんさくように……。
この作品は、東日本大震災が起こって、心がいたたまれなくなり、その2日後に1時間弱で書き上げました。
その後、鳥影社に送ったところ、「総理大臣になった少年」と一緒に掲載されました。
あの時の悲しみ、不安、恐怖。
私達の多くは、それらを乗り越えてきました。
でも、「乗り越える」と「忘れ去る」とは違います。
そして、今でも闘っている人達もたくさんいます。
私達にできること。
支援はなかなか難しくても、少なくても「忘れないこと」と「がんばって」の気持ちだけは今すぐにでもできるように思います。
そして、今、他のことでたくさんナミダをこぼした人達にも。
月並みだけど、でも心を込めて。
がんばって!